何度も訪れたことがあり、思い出深い長崎です。

 父は昭和38年まで三菱重工長崎造船所に単身赴任で勤務していました。私が5才の時です。父は退職後に自宅で不動産業を始め毎日家にいるようになりました。これが不動産鑑定士の仕事を知る機会となりました。取引事例や地価水準を不動産鑑定士がヒアリングに来ていたそうです。その父にお願いして小学生の夏休みに3~4回長崎市内へ遊びに連れて行ってもらいました。長崎への旅は、私にとって父との大きな思い出であり財産です。

・1~2両編成の島原鉄道に乗り、諫早から各駅停車で行きました。長崎市の当時の印象は「大都会」でした。百貨店の屋上で乗り物に乗ったり、水族館に行ったり、食堂でご飯を食べたりしてすごく楽しかった思い出があります。そして浜町アーケード街を歩く人の多さに目をぱちくりさせていました。行き帰りの電車の車窓から景色を眺めている自分を今でもよく思い出します。

・今回は世界三大夜景に指定されてから初めて稲佐山に登りました。その他は中華街、橋が架かった出島(初めて)、グラバー園、眼鏡橋、平和公園、原爆資料館と定番の観光地を散策しました。長崎市は評価で年に3~4回は行きますが、観光地に足を運ぶことはほとんどありませんので、中華街と平和公園を除いたら、20~30年ぶりになり、感慨深い長崎の旅となりました。

ホテル矢太樓本館からの眺望
グラバー通り
グラバー園から稲佐山、長崎造船所方面を望む
眼鏡橋
平和公園

・県庁も長崎駅近接地に移転予定、長崎駅も熊本駅の次に新駅舎建設予定で長崎市も静かに発展していきそうです。市内は傾斜地が多く、土砂災害危険区域の指定箇所がすごく多いと思います。昭和57年の長崎大水害が思い出され、とても危険な状態の住宅地域が多く、災害対策の課題が山積しているように思いました。

(第一鑑定リサーチ 不動産鑑定士 吉田稔)